古い出石焼が展示されます。 ミュージアムの目の前は、ゆったりとした瀬戸内海が広がっています。小豆島等が一列に連なり、一幅の絵画の世界にいるかのようです。 今般コレクターの逸品が披露されます。 江戸後期いち早く生まれた出石焼ですが、年号、窯名、作者名等の記名がなければ、伊万里?、平戸?九谷?等々と判断するのが難しいようです。しかし出石焼には、繊細な技法、透明な染付の彩、卓越した画法、それになによりも品格があります。 古出石焼をこよなく愛する コレクターの逸品展 4月30日(水)~6月9日(月) 桃井ミュージアム 火曜定休日 #
by sasayuri2209
| 2014-04-14 13:33
| 兵庫の焼物
兵庫陶芸美術館 特別展 新収蔵品展 ~美の再発見 兵庫のやきもの~ 近年収集した丹波焼の時代を追った展開と、近世後期に誕生した個性溢れる県内各地の窯場の魅力をご覧いただけます。 会期 2013年 12月7日(土)~2014年2月16日(日) 詳しくは下記リンクをご覧ください。 兵庫陶芸美術館 特別展 新収蔵品展 ~美の再発見 兵庫のやきもの~ #
by sasayuri2209
| 2013-12-11 19:02
| 美術館
久かたぶりに(タイムスリップして)京の瀬戸物問屋街を散策してみたくなりました。 京都市考古資料館より ここは三条界隈 多くの人々が往来し、商人も慌ただしげにたち働いています。秀吉様の御時から瀬戸物問屋街はありました。天正の地割に記されております。 問屋達は、陶器を商品として扱い,全国の小売店へ出荷しているのです。古田織部殿も弟子を連れて,口切りの茶会の道具を買いにこられるようです。 問屋は5軒ございます。美濃物屋が一軒 覗いてみましょう。 番頭さんが織部焼とおしえてくれました。鮮やかな緑色、目にしたこともない文様、また白・ねずみ色の艷やかな肌をした多様な器、目の覚めるおもいで、うっとり見とれておりました。特に向付の多様な形とその斬新な絵付け、ただただ驚きました。 備前物屋は4軒ございます。 しかし、どこにも伝世しているような名品と呼ばれるものはなく、向付・鉢・花入・水指÷建水といった茶の湯に使う道具が、並んでいます。 聞くところによりますと、全て問屋がデザインを指示して、各窯の職人に発注し、焼きあがると問屋へ収められているとのことです。備前焼は窯道具ごと入荷し、問屋で窯道具を取り外すこともあるとのことです。 数点の焼成を依頼する場合は、他問屋と区別をつけるため各問屋の商品は決められた印を入れているようです。 特別な作品は取り巻き達(茶人・医者・僧・絵師等が集まりサロンが出来ているようです。)がデザイン・作陶し、または職人に制作させて、混同しないように自身の印をつけて、窯へ焼成を依頼しているという話を聞いております。これらの作品は大名品といわれなくとも、いずれもさぞ茶味のある、作為に満ちた品物でございましょう! 洛中で形作られた作品は、焼かれた窯、窯にいれた回数、土の種類、もしくは掛けられた釉薬、作風等により、呼称を伊賀・美濃伊賀・信楽・丹波・土の物等等、かなり自由に名づけられているように思うのです。 この時代、茶の湯を心得た人々が、自国の土で、想いにかなった茶の湯の道具を造ることに、一斉に燃え上がって、焼き物の世界を一変させているのです。 優しい川風に頬を撫ぜられるに任せ、「たむば焼きの茶碗・花入・水指・茶入が存在していたら・・・」と願っています。 裏千家茶道資料館にて下記展覧会が開催されています。 夏季特別展 京三条せともの屋町 平成24年6月23日~9月17日 #
by sasayuri2209
| 2012-06-16 20:10
民芸運動の指導者であった柳宗悦は、丹波本来の姿である日常雑器を、「最も日本らしい品、渋さの極みを語る品」と評価し絶賛しました。 柳宗悦 (日本民藝館 提供) その柳宗悦が民藝運動の拠点として開設した東京・駒場の日本民藝館から、丹波焼及び丹波布のコレクションを紹介する特別展が以下の期間、兵庫県陶芸美術館にて開催されています。 会期 2012年3月10日~5月27日(日) 蝋燭徳利 江戸時代後期 詳細は、以下HPにてご確認ください。 兵庫陶芸美術館 特別展「柳宗悦と丹波の古陶」 #
by sasayuri2209
| 2012-04-23 02:40
| 美術館
丹波の国は・・・ 桃山時代の茶会記を読んでいると、時々「たむば」と記録された焼き物が出ています。 京都市埋蔵文化財研究所の丹波焼3点の内、上の小壷はたしかに六古窯に位置づけられている立杭焼(通称丹波焼)近辺の穴窯で焼成されたものであろうと推測できます。ですが後の2点、雷鉢と大皿は土も焼成も明らかに小壷とはちがっています。これらこそ茶人たちに「たむば」と呼ばれていた焼き物ではないかと思っています。それらが何処で焼かれたのか、どこに窯が築かれていたのか判明しておりません。 旧丹波の国とは、現在の兵庫県の丹波市、篠山市、京都府の福知山市、綾部市、京丹波町、南丹市、亀岡市にまたがる地域を指します。 現在の地図 藩政時代の地図(現代の地図と南北が逆になっています) 朝廷や幕府に近いことから、歴史上覇権者のエピソードが多く伝わり、丹波の国がいかに大切な地域であったかがわかります。室町幕府を開いた足利尊氏は、京の街まで数キロの所亀岡にて旗揚げをしましたし、1579年には明智光秀が旧丹波の国を平定した際に福知山城を築いています。また、丹波市柏原町は織田家ゆかりの街です。本能寺の変にて織田信長亡き後、豊臣秀吉が四国からうって帰り、明智光秀を討った際に、秀吉は丹波を直轄領としました。 この京の都に近いところの何処かで窯が築かれていたはずです。 今後の研究の成果を、楽しみに待つことにしようと思っています。 #
by sasayuri2209
| 2011-09-10 21:31
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